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東京高等裁判所 昭和38年(ネ)3151号 判決 1967年1月24日

控訴人 飯高きゑ

被控訴人 国 外一名

代理人 鰍沢健三 外三名

主文

原判決を取り消す。

千葉県山武郡九十九里町片貝字南浜六、五〇九番の畑八畝五歩は控訴人の所有であることを確認する。

控訴人に対し被控訴人国は、前項記載の土地につき千葉地方法務局片貝出張所昭和二五年一二月二三日受付第一、一一五号をもつてなされている自作農創設特別措置法第三条に基づく買収を原因とする所有権取得登記の、被控訴人戸村みつは右土地につき同出張所昭和二七年九月四日受付第八七二号をもつてなされている昭和二七年七月一日同法第一六条に基づく売渡を原因とする所有権取得登記の各抹消登記手続をせよ。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。

事  実<省略>

理由

一、(一) 本件土地がもと訴外高宮誠の所有であつて、公簿上その地目は雑種地と記載されていたこと、および右土地につき昭和二三年九月七日控訴人のために所有権取得登記がなされていることはいずれも当事者間に争いがなく、この事実に、(証拠省略)を併せ考えれば、控訴人は昭和二三年九月七日実兄である高宮誠から本件土地を買い受け、千葉地方法務局片貝出張所同日受付第四八三号をもつて売買を原因とする所有権取得登記を経由した事実を認めることができる。

(二) 一方被控訴人国は本件土地が訴外高宮七左エ門の所有に属する農地であるとして、昭和二三年一二月二日付をもつて自作農創設特別措置法三条に基づきこれを買収し、千葉地方法務局片貝出張所昭和二五年八月一日受付の代位登記をもつて、当時登記簿上雑種地となつていた本件土地の地目を畑に変更する手続をした上、同出張所同年一二月二三日受付第一、一一五号をもつて右買収を原因とする所有権取得登記を経由したことは当事者間に争いのないところである。

二、よつて、右(一)の譲渡ないし(二)の買収当時、本件土地が農地調整法及び自作農創設特別措置法にいう農地であつたかどうかについて判断する。

前顕(証拠省略)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一)、本件土地はもと訴外亡高宮七左エ門が明治三六年頃国から払下を受けた地目を雑種地物干場とする土地であつて、七左エ門の死後高宮誠が同四〇年九月二六日選定家督相続によりこれを取得するに至つたものであるが、同人は昭和二三年九月七日地目を雑種地として同人名義の所有権保存登記を経由した。高宮誠が右土地を取得した後、その管理は事実上同人の父広倉松蔵ほか近親者がこれに当つていたが、松蔵は高宮誠を代理して右土地を戸村喜三郎(被控訴人みつの夫喜太郎の父)に使用目的を水産加工品の干場とし、地代を一ヶ年金二円と定めて賃貸し(その時期は明治末年から大正年代の初頃とみとめられる)、大正一三年喜三郎の死亡によりその子喜太郎が、ついで昭和八年同人の死亡により被控訴人戸村みつが順次本件土地の賃借人の地位を承継した。

(二)  喜三郎ら賃借人は、はじめ本件土地を契約の目的に定められたとおり水産加工品の干場として使用してきたが、やがてこれを耕作の目的にも供するようになり(その時期を断定することはできないが、この傾向は戦時中から顕著になつた)、この状態は昭和二六、七年頃まで継続し、本件土地は被控訴人みつが水産物の加工業をやめるとともに、当初の目的から離れて専ら耕作の用に供されることとなつた。

以上のとおりであつて、(証拠省略)はこれを信用しない。したがつて、本件土地は、はじめ水産加工品の干場として使用するために賃貸されたものであるが(いわゆる使用賃貸借)、その後耕作の用にも供されるようになり、ついには専ら耕作地として使用収益されるにいたり、契約はいわゆる用益賃貸借であるかのように変貌することになつたものと認められる。

三、農地調整法、自作農創設特別措置法等農地関係法令において、農地とは、耕作の目的に供される土地であるとされているが、耕作の目的に供される土地というためには、その耕作が権原に基づいてなされているものでなければならないと解すべきである。けだし、農調法により農地の移動を制限し、自創法により農地の買収を行なうのは、結局耕作者の地位の安定を目途とするものであるが、権原に基づかないで耕作をしている者についてかかる保護を与える理由はないからである。本件についてみるに、被控訴人みつは、前示譲渡ないし買収の当時本件土地を耕作の用にも供していたことは、前に判示したとおりであるが、本件土地は、物干場として使用する目的で、すなわち使用賃貸借として、賃借権が設定されたのであるから、みつの耕作が権原に基づいてなされたというためには、契約目的の変更すなわち用益賃貸借とすることについて少なくとも高宮誠の承諾をえなければならない筋合である。しかるに、このような承諾があつた事実については、これを認めるに足るなんらの証拠もない。被控訴人国は、契約目的の変更につき土地管理人の暗黙の承諾があつたと主張するけれども、本件土地が耕作に供されている事実を高宮誠又はその管理人らが知つていたと認められる信用できる資料がないのみならず(証拠省略)によれば、本件土地の地代として定められていた一ヶ年金二円という額は、誠が被控訴人みつに賃貸していた他の小作地の年貢と較べてはるかに安く、本件土地を耕作に供する場合は、地代を一ヶ年金一三円程度と定めるのを相当とするところ、誠又はその管理人らからその増額を要求したことなく、被控訴人みつも、その小作地に対する年貢とは別に本件土地の地代として一ヶ年金二円の割合による金員を引き続き支払い、昭和二三年にいたり当時の管理人川島泰治との間に、物価の昂騰を理由に、右地代を一ヶ年八円に増額する約定が成立したことが認められるのであつて、これらの事実によれば、契約の目的変更につき被控訴人国の主張するような暗黙の承諾があつたことを肯認することはできない。

それゆえ、本件譲渡ないし買収の行なわれた当時、本件土地は耕作の用にも供されていたけれども、それは被控訴人みつが権原に基づくことなく、契約に違反してしていたものというべきであり、したがつて、本件土地は、当時いわゆる農地であつたということはできない。

四、以上説示したとおりであるから、高宮誠が控訴人に対してした本件土地の譲渡は、当時施行されていた農地調整法四条一項による県知事の許可をえるまでもなく有効であるといわなければならない。

五、そこで、次に本件買収処分の効力について考える。

右買収処分は、本件土地が高宮七左エ門の所有に属する農地であるとして、自創法三条に基づきなされたこと、本件土地は元七左エ門の所有であつたが、同人は夙に死亡し、高宮誠が明治四〇年九月二六日選定家督相続により同人の権利義務を承継したこと、高宮誠は昭和二三年九月七日本件土地を控訴人に譲渡したこと、及び本件土地が農地関係法令上農地とは云えないことは、いずれもすでに判示したところである。したがつて、本件買収処分は、先ず農地でないものを農地であるとして買収した違法があるのみならず、買収するとすれば、当時の所有者を買収の相手方とすべきであるのに、はるか以前に死亡した七左エ門を相手方としているのである。しかも、(証拠省略)によれば、片貝町農地委員会は、本件土地の買収計画を樹立するにあたり、登記簿を調査することなく、漫然土地台帳面の記載を信じたため、本件土地が七左エ門の所有に属するものと誤信したのであり、その住所として表示した船橋市本町は架空のものであつたこと、七左エ門に対する買収令書の交付はどのようにしてなされたか明らかではないが、少なくとも、控訴人又は七左エ門の相続人高宮誠には交付されなかつたことが窺われるのである。以上を通観するに、本件買収処分は、その瑕疵が重大でかつ明白であるから、これを当然無効なものと断定せざるをえない。

六、被控訴人国が昭和二七年七月一日付をもつて自創法一六条に基づき本件土地を被控訴人みつに売り渡し、千葉地方法務局片貝出張所同年九月四日受付第八七二号をもつて同被控訴人のために右売渡を原因とする所有権取得登記がなされたことは当事者間に争いのないところであるけれども、上記のとおり、本件買収処分が無効である以上、被控訴人国は本件土地の所有権を取得したものということはできないから、右売渡処分もまた無効であり、被控訴人みつは、本件土地の所有権を取得しなかつたものといわなければならない。

七、そうとすれば、本件土地につき被控訴人らのためになされた各所有権取得登記は、いずれも実体関係に合致しない無効のものというべく、控訴人が本件土地の所有権を争う被控訴人らに対し、本件土地の所有権の確認を求めるとともに、所有権に基づき右各登記の抹消を求める請求は、いずれもその理由があるものとしてこれを認容すべきである。よつて、これと趣旨を異にする原判決は、民訴法三八六条によりこれを取り消し、訴訟費用の負担につき同法九六条、九三条、八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 三渕乾太郎 伊藤顕信 土井俊文)

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